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zoom RSS 畿内説、九州説、真相がいまだわかんない。

<<   作成日時 : 2013/02/20 18:23   >>

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はたして人類の脳は進化しているのだろうか・・・なんて鑑みる。

これだけ科学分野が進んでも「卑弥呼」「邪馬台国」の正確な位置情報が解明できないでいる。

陸上の分野ですらこの有様。まして海底(深海という方がいいか)宇宙探索なんて烏滸がましくさえ思ってしまう。

そもそも僕達は現世にどうしているのか、自分の祖先は誰であるか遡ってみたことある?

僕の先祖は平家の血筋で戦国時代の某大名まではたどり着けたけどそれ以前はまだ未解明。

「卑弥呼」に関しては実在していたのは間違いがないところだろう。

ただ、詳しい資料が乏しすぎる。

簡略したら、邪馬台国の卑弥呼がどんな人だったか想像できる材料は殆ど無い。

魏志倭人伝には、「その国ももとは男を王としていた。

男が王となっていたのは70〜80年間であったが、国は乱れて攻め合いが何年も続いた。

そこでついに一人の女性を選んで女王とし卑弥呼と名付けた。

神霊に通じた巫女で、信託により国を治め人々を信服させた。

年をとっても夫を持たず、弟がいてまつりごとを補佐した。

女王の位についてからの卑弥呼に直接会った人は極めて少ない。

侍女千人にかしずかせていた。ただ一人の男が食事の世話をし、内外の取り次ぎ役として奥部屋に出入りしていた。と、こんな感じになる。

歴史に興味がある僕としては考古学協会のみなさんの調査に期待をしているところです^^



邪馬台国の女王・卑弥呼ひみこの墓という説がある奈良県桜井市の箸墓はしはか古墳で20日、日本考古学協会など15学会が立ち入り調査をした。

午後には卑弥呼の後継者・台与とよの墓との説がある同県天理市の西殿塚にしとのづか古墳でも立ち入り調査を実施。

ともに陵墓(天皇、皇族の墓)として宮内庁が管理し、非公開としてきたが、邪馬台国の所在地や古墳成立過程の解明の鍵を握る古墳だけに学会側が要望し、初の調査が実現した。

各学会による陵墓の立ち入り調査は2008年から行われており、今回で9か所目。ただ許可されたのは、墳丘の下段を歩いて観察する程度で、遺物の採集や発掘はできない。

この日は午前10時頃から代表の研究者16人が箸墓古墳に入り、墳丘の形状などを確認した。

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奈良県桜井市にある日本最古の大型前方後円墳・箸墓古墳は卑弥呼の墓と言われている。

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墳長約280m、後円部径約150m、高さ約30m、前方部幅約130m、高さ約15m。

前方部4段、後円部5段からなる。古墳の多い奈良でもトップ3に入る大きさで、一帯は国内で
最も古い古墳群だ。

出雲のスサノオは出雲平野の斐伊(ひい)川上流に住むオロチ族(鉄文化を持っていた)を倒し、鉄を手に入れ(草薙の剣ゲット)次に九州を平定して卑弥呼と結婚した。神武天皇は孫。--こんな異説もある。


中国では前王朝の歴史を、後に続く王朝が公文書にまとめる義務があり、曹操親子が建国した魏王朝については、後の晋王朝が史書『三国志』の中に「魏書」30巻として記録した。

このうち日本に関する部分が『魏志倭人伝』と呼ばれる。

成立が280年頃と卑弥呼の死から30年しか経っていないこともあり、この約2000字の文章が古代日本を知る貴重な手掛りとなっている。(日本最古の歴史書『古事記』は712年成立)

中国の『後漢書』には、57年に倭の奴国の使者に金印を与えたという記録が残っている。

この「漢委奴国王」と刻まれた金印は江戸中期に甚兵衛と農民が偶然用水路で発見し国宝になっている。卑弥呼が受け取った金印もこの国のどこかにあるはずだが、まだ発見されてない。

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