終戦記念日である。 だが戦争体験者数が減っていくにつれてTVでの取り上げ方が少し変わってきてるように思う。 戦争を知らない子供たちが今の日本の中心になっているから、戦中、戦後の話をしても言葉に重みがない。 番組制作にあたっても同様の事が言えるだろう。 一昨日にもここに書いたが終戦後の国家構築の軌跡もその一つだ。 戦後教育は一貫して表面的な事しか教えてこなかった。 戦後70年弱の間の教育の不手際が今の日本人を作ってしまったとも言えるだろう。 それは何かと言うと、日本人である事の誇りがなくなっているところに現れているのではないか。 受験に関係ない事は省いて勉強する。教えられたことは出来るという人間が大量生産されてきたのだ。 どこを切っても同じ顔の金太郎飴のような輩ばかりで人と違った考え方や行動をとると問題児、異端児扱いされ社会では爪弾きにされる。 だから政治家も官僚も右へ倣えの人が出世するのである。 情報のグローバル化はよい所も多いがマイナスの事も多い。 特にいまだに反日教育でしか国家を纏められない中国や韓国がこぞって日本の政治家の発言を注視し隙あらば政治問題に転換しようとするからだ。 ここに、面白い記事を発見したので転載しておこう。 なるほどと思う人はたぶん正常な感覚の持ち主だろう。 また、この本も本質をついていると思う。 シンガポール華字紙・聯合早報は「中国通の日本人、日本オンチの中国人」と題したシンガポール仏教学院の紀贇(ジー・ユン)助教授の論説を掲載した。以下はその概要。 仏教研究のシンポジウムに参加するため台湾を訪れたが、そこで大多数の中国人よりも中国文化に精通している日本人の学者たちに会うことができた。 中国語の仏教経典研究の第一人者も日本人だ。 数年前、「中国の古代研究は中国が上か?日本が上か?」という論争が学術サイト上で話題になった。 敦煌研究についていえば、「敦煌は中国にあるが、敦煌学は日本にある」という見方もあるが、日本人学者の中国研究の深さや広さは誰もが認めるところだ。 歴史的に見ても、日本と中国の文化が相手国に及ぼした影響力には大きな差がある。 明治時代や日清戦争までは、中国文化が日本に輸出されてきた。 最近では多くの中国人が日本で暮らしているが、量的にも質的にも日本の「知中派」は中国の「知日派」をはるかにしのいでいる。 こうした日本の「知中派」が、過去の日中戦争において日本の優位を導きだした。 彼らが製作した正確な中国地図は中国軍も使用していたほどだ。 しかも日本軍上層部の板垣征四郎や土肥原賢二、岡村寧次、石原莞爾も有名な「中国通」だった。 終戦後、中国人は日本人に対する恨みや軽蔑から、あるいは国内の政治的思惑からか、日本についての研究を怠ってきた。 日中戦争についても、事実に基づいた検証を行うことはなかった。 それが今の荒唐無稽な抗日ドラマの氾濫につながっている。 中国が低俗でバカバカしく、安っぽい抗日ドラマを躍起になって制作している間に、日本は台湾と中国の間にある矛盾をついて、尖閣問題上での両者の力を2分し、両者の矛盾をさらに広げることに成功した。 中国はこれまで日本という強国を直視してこなかった。 彼らにとって日本は敗戦国であり、中国は戦勝国だからだ。 日本は戦争には負けたがそれは米国に負けたのであって、中国に負けたのではないと思っている。 戦争を起こしたのは「白人によるアジアの植民地化を阻止するため」と主張する日本に、当時の軍国主義を心から反省させることは困難だ。 日本が中国に対して抱いている優越感が今後の日中関係の障壁になるのなら、中国の日本に対する理解不足も障壁になる。 両者の隔たりと誤解をこのまま放置すれば、将来深刻な衝突を招くことになるだろう。 |
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