倶楽部 へいちゃん 2

アクセスカウンタ

zoom RSS 織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食らうは徳川。

<<   作成日時 : 2014/01/03 21:24   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

2014年、あけましておめでとうございます。

本年も僕のグダグダブログにお付き合いくださいませ(^^ゞ

正月三箇日も終わり、そろそろ普段のモードに切り替え準備をしないといけませんね〜w

とは言え、今度は新年会がまってます(爆)

NHKの大河ドラマに特には興味はないのですが、今年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛には大変興味があります。

画像

画像

黒田官兵衛(如水)と家紋

当然ながら、竹中 重治(たけなか しげはる)通称は半兵衛(はんべえ)にも興味があり列伝とか所謂小説では随分と読み込みました。

織田氏の家臣である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の参謀として活躍し、黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「両兵衛」「二兵衛」と称された。

美濃の斎藤家家臣だった半兵衛は主家滅亡後、秀吉の天性の才能を見抜き、信長に直接仕えることは拒絶したが、秀吉の家臣となることを了承したとされています。

官兵衛の名にピンとこない方でも、秀吉に仕えた黒田孝高、あるいは黒田如水といえば、教科書にたしか載っていたと思います。

戦国武将で大名を描いた作品は種類も多いけど、参謀にスポットを当てた作品は意外と少ないのだ。

大河ドラマが好きな方は必見だろう。

問題はNHKがどういった切り口で黒田官兵衛を描くかってところかな。

「人生は毀誉褒貶」(きよほうへん)。

黒田官兵衛は全戦全勝、負け知らずだった。

「いくさの天才」「文武両道の知将」「信義に厚いキリシタン」官兵衛をたたえる「誉褒」は枚挙にいとまがない。

一方、「狡知に長けた策略家」という「毀貶」の側面も、しばしば語られる。

1582年、信長の命をうけた秀吉は、中国の毛利氏を討つべく、備中高松城(岡山県)に向かった。

前代未聞の奇策「水攻め」で、落城寸前。そこに「信長横死」の一報が入った。明智光秀の裏切り、本能寺の変である。

茫然自失の秀吉、その耳元に官兵衛がささやいたと伝えられるのが、「これで天下が見えてきましたな」という一言である。

「窮地に追い込んだ敵を追い詰めることなかれ」、官兵衛は孫子の兵法「囲師必闕(いしひっけつ)」を実践したのである。

官兵衛は「狡知」ではなく、「巧知」に秀でていたのだ。

こんな人となりの黒田官兵衛だったが、自身は秀吉死後も天下を取ることはできなかった。

天下餅をつく信長を支え、こねる秀吉の名参謀となり、食らう家康からも一目置かれた黒田官兵衛。

1604年、戦国の世の終焉を見届けた直後、59歳で生涯を閉じた。

あまり詳しく書くと、大河ドラマを見る興味が薄れるだろうからこのくらいでw


テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食らうは徳川。 倶楽部 へいちゃん 2/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる