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zoom RSS 昭和十二年の廬溝橋事件

<<   作成日時 : 2014/07/08 23:31   >>

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こんばんは。

日本のメディアは、どうしてだか大々的な報道がない。

中国や韓国に言われっぱなしの現状がずっと続いている。

在特会が控訴審で負けたが、民族差別によって、在日の人々が辛い目にあっている旨が主な内容だった。

おかしくね?

中韓の嘘や歴史の捏造外交で被害を被っているのは、日本人だし、在外の日本人でもある。

こういった事には触れないのは片手落ちと言わざるを得ないと考える。

昭和十二年の廬溝橋事件がどういった内容か、すらすらと出てくる日本人は少ないだろう。

こうやって書いている僕もまだ生まれてはいなかったし、学校の授業でも詳しく習った記憶はない。

七十七年前の七月七日から日華事変が始まるのだが、何故、戦争ではなく事変なのか。

その訳は、日本軍が戦う相手が、国家ではなく、国民党の軍隊、共産党の軍隊そして軍閥や共産パルチザンや匪賊だったからだ。

もっと詳しい事は個々にググっていただくとして、要点だけをピックアップしてみる。

その当時の大陸の情況は、内乱状態だったと言うのを頭に描いていないと、話が理解できないだろう。

七十七年前、支那におけるこの情況から、戦争を起こし、戦争から共産革命に持ち込む戦略を実践した組織があった。

それは、スターリンが指導するコミンテルンと、毛沢東が指導する中国共産党だった。

コミンテルンは、各国共産党に、「内乱から、戦争へ、戦争から革命へ」という闘争方針を指令し、毛沢東は、「政権は銃口から生まれる」という方針を実践した。

コミンテルンも毛沢東・中国共産党も、その「戦争」の相手を日本に絞ったあげくに起きたのが「廬溝橋事件」だ。

明治三十三年(一九〇〇年)に支那で勃発した義和団による排外運動から北京の欧米各国人を救出する為に出兵した欧米列強と日本は、義和団鎮圧後に、支那駐留権を得て軍隊を駐留させることとなった。

昭和十二年七月七日夜十時四十分ころ、廬溝橋北側の左岸荒蕪地での演習を終えた日本軍の中隊に対し、突如数発の銃弾が撃ち込まれた。

画像


軍内部での計画があったというような表し方は、 とんでもない大間違いです。 斜面での演習 ○写真は、盧溝橋事件の起こる以前の、 一文字山付近での昼間の演習風景

明治三十三年(一九〇〇年)に支那で勃発した義和団による排外運動から北京の欧米各国人を救出する為に出兵した欧米列強と日本は、義和団鎮圧後に、支那駐留権を得て軍隊を駐留させることとなった。現在で言うPKOである。
 
昭和十二年七月七日夜十時四十分ころ、廬溝橋北側の左岸荒蕪地での演習を終えた日本軍の中隊に対し、突如数発の銃弾が撃ち込まれた。

この時、中隊長や小隊長等は、堤防と廬溝橋城壁の中の中国軍との間で懐中電灯による点滅信号が交わされているのを目撃する。

そして、再び、十数発の銃弾が撃ち込まれてきたので、部隊は「伏せ」の姿勢でこれを避けた。

その後、中隊は二キロ東に移動するが、翌日の三時二十五分、更に三発の射撃を受けた。

以上の報告を受けた牟田口廉也連隊長は、四時二十分、戦闘開始を許可する。

しかし、不拡大の方針で中国側に派遣されていた軍使一行が到着し、攻撃を思い止まらせ、部隊は隠忍自重を堅持することとした。

その我が軍の隠忍自重を臆したと誤解した中国兵は、俄に凶暴となり、部隊に猛射を浴びせてきた。

ここに至って我が軍は、七月八日午前五時三十分、反撃に転じ直ちに敵を撃滅して付近を平定した。

これが廬溝橋事件である。

廬溝橋における日本軍への突然の銃撃は、中国共産党の指令によって仕掛けられたのである。

その後、日支両軍による停戦協定が成るが、三週間後の七月二十九日、通州において、中国保安隊によって大規模な日本人虐殺が行われる。

それは、支那人特有の悪獣も及ばぬ猟奇の惨殺であった。

そして、和平工作は挫折し、戦禍は上海から南京に移ってゆくわけで、大東亜戦争の入り口となっていく。

相手が、「内乱から戦争へ、戦争から革命へ」そして「政権は銃口から生まれる」という戦略を廬溝橋で開始したコミンテルン・中国共産党なのだから、戦争回避を試みても意味がなかったことになる。

これにより支那における戦禍が拡がっていったのだ。

七十七年が経った七月七日、習近平国家主席は、廬溝橋近くの「中国人民抗日戦争記念館」で開かれた式典に出席し、「中国は侵略の歴史の否定や歪曲、美化を決して許さない」と述べるとともに、「抗日戦争や反ファシズム戦争の勝利からまもなく七十年となる今日も、依然として確固たる歴史の事実を無視し、戦時中に犠牲となった数千万の罪のない命を無視する者がいる」と暗に日本を非難した。

中国政府は、「抗日戦争勝利」から七十年となる来年を前に、党機関誌、人民日報や中国中央テレビなどの国内メディアを通じて反日感情を刺激し、愛国心を鼓舞する宣伝を展開しているのだが、
これこそ、二十五年前の六月四日の天安門事件とそっくり同じの歴史の捏造であり、天に向かって唾を吐く所業である。
 
即ち、中国共産党の政権は、「謀略(ウソ)と銃口」から生まれ、「謀略と歴史の捏造」によって維持されているのである。

本年初め、習近平主席は、今年を日清戦争から百二十年の年と位置付け「日本軍国主義勢力と闘争する年」とした。

彼の演説は、八月の我が国の敗戦、九月の柳条湖事件、上海、南京、さらに、来年の抗日・反ファシズム勝利七十年と続くと予想される。

だが、中国人自身が、それは、ウソだと一番思っている。

中国人胃に言わせると、ウソをつくのは悪くない、騙される日本人が悪いということになる。

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