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zoom RSS 韓国の歴史学者は歴史をしらないってか(笑)

<<   作成日時 : 2015/01/07 21:36   >>

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こんばんは。

韓国の「独立門」を知っていますか?

韓国人は、この門を日本から独立した記念に建てられたと教えられている。

だが、正しくは「清の冊封体制からの独立」を記念したものである。

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現在の独立門、注:この門の手前に2本の柱が見えますね。これが、撤去された迎恩門の柱です。

独立門(どくりつもん)は、大韓民国ソウル特別市西大門区峴底洞(ヒョンジョドン)101番地の独立公園内にある門。

1896年11月21日定礎、1897年11月20日完成。

高さ14.28m、幅11.48m。約1,850個の御影石から作られている。フランスパリのエトワール凱旋門を模して作られた。

史跡第32号(1963年1月21日指定)。1979年に整備事業により本来の位置から北西に70m移動された。

日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約にて清の冊封体制からの李氏朝鮮の独立を認めさせた。

これにより李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになり、その記念として清への服属の象徴の一つであった迎恩門を壊し、そのすぐ隣に建設された。

七世紀高句麗や百済は唐に抵抗したが、新羅の金春秋(武烈王)は結局唐の臣下(新羅国王)となってライバルを滅し半島を統一する道を選んだ。

これ以後、半島の国家は新羅であれ高麗であれ朝鮮であれ、すべて「国王」すなわち中国皇帝の臣下であった。

それが歴史上のまぎれもない事実のである。

日本が清との日清戦争に勝って、下関条約で中国に初めて「朝鮮国の独立」を認めさせた時、これで長年にわたる屈辱から解放されたと喜んだ朝鮮人は、欣喜雀躍して独立門を建てた。

これは「中国からの独立」を記念して建てられたものであり朝鮮人もそれを明確に意識していたということなのだ。

現在ある場所に建てられたのも理由がある。

独立門が立てられる前にあった撤去された、 迎恩門。

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ここは、迎恩門といい、朝鮮歴代の王が中国皇帝の使者を迎えるにあたって土下座以上の屈辱的な三跪九叩頭の礼をさせられていた場所なのである。

清国皇帝は「お前たち朝鮮人を滅ぼさないで済ませてやったのだぞ。恩義と思え」と強制し、歴代国王に三跪九叩頭礼を強制した。

その場所が「迎恩門」なのである。

日本が清に勝ち、朝鮮の独立を認めさせた時、まず朝鮮人たちが行なったことが迎恩門の破壊であった。

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碑文には以下のように刻まれている


@愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆らった。
A清国皇帝は、愚かな朝鮮王をたしなめ、この大罪を諭してやった。
B良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、
 偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
C我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に
 逆った愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。



この碑文は、国民に恥ずかしい本当の歴史を知られたくない韓国政府は、今は撤去して闇に葬りさっている。

自国の歴史さえ捏造に明け暮れている韓国人、こんな奴らとまともに話しあうほうに無理があるってもんです。。

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