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zoom RSS 日本人がシナを「中国」と呼び始めたのは戦後の事。

<<   作成日時 : 2015/08/24 23:07   >>

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こんばんは。

前都知事だった石原氏が、よく「支那」という言い方をしていた。

なんとなくだが差別用語みたいな感覚に襲われてなかっただろうか?

しかし、日本人がシナを「中国」と呼び始めたのは戦後の事だというのを知ってますか。

一体何が言いたいのかって思うよね。

日本の地名で、「中国地方」って習わなかった?恐らく今でも「中国地方」っていい方は使っているはず。

日本の山陽・山陰を合わせた地域を中国と呼ぶ歴史は非常に古く、 『類聚三代格』の元慶二年(878)二月三日の官符の記録に既に見られるということですから、 少なくとも千百年以上の歴史がある訳です。

それに比べて、「中国」と呼び始めた時点で、中華民国(建国1912年)はまだ三十数年の歴史しかなく、 中華人民共和国(建国1949年)に至っては存在すらしてなかったんですよね。

事の始まりは、昭和21年(1946)に外務省が出した通達です。

当時GHQの管理下にあった外務省は、 東京都内の主要マスコミに対して「支那」の使用をやめるように通達しました。

中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが 其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり, 現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので、 今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え念のため貴意を得る次第です。 要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては、

中華民國、中國、民國。

中華民國人、中國人、民國人、華人。

日華、米華、中蘇、英華。

などのいづれを用ひるも差支なく唯歴史的地理的又は學術的の敍述などの場合は 必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます。

しかし、よくよく読むと、支那と呼ぶべきでないとされているのは「中華民国」、つまり台湾のことです。

それにしてもマスコミの力は絶大でした。 ありとあらゆるすべてのメディアにおいて「支那」から「中国」への書き換えが行われました。

過去の戦争の名前までもが、 例えば「支那事変」は「日中戦争」にという具合に書き換えられました。

その一方で「中国四千年」「中国文明」などと、あたかも何千年も前から「中国」という国があって、 日本人がそう呼んでいたかのように触れ回りました。

つまり単に国の呼称が変えられただけではなくて、歴史全体が書き換えられたと言ってよいと思います。

「支那(シナ)は日本人だけが使った差別語である」の嘘

『広辞苑』には、「支那」とはシナに対する外国人一般の呼称であると書かれています。

「国父」とされる孫文も、自国を「支那」と言っていましたから。

他の国々では China をどう呼んでいるか。

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そもそも「中国」と言う言葉には、「世界の中心の国」という意味の普通名詞の用法があります。

この用法は固有名詞としての「中国」とは違って、非常に長い歴史があります。

その言葉は中華思想という世界観を前提としています。

その世界観は、「中国」を中心として、四方に野蛮な異民族がいるというものです。

四方の異民族は東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき) と呼ばれました。

使われている文字を見れば分かる通り、周辺の異民族を侮蔑してこう呼んだのでした。

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そして「中国」には、天からの命令(天命)を授かって世界を治める「天子(てんし)」がいるとされました。

天子が政治を行う場が朝廷です。

皇帝は天子の別称で、「皇」の字は天子にのみ許されるとされました。

皇帝は「中国」を治めるのみならず、四方の野蛮な異民族をも臣下の国として従え、 その国の長に「王」の称号を授けました。

王は皇帝に忠誠を誓い、「中国」に貢ぎ物を納めました。

これがいわゆる「中華秩序」と呼ばれるものです。だから「中国」は尊称でもあります。

シナの皇帝は自国を「中国」と尊称で呼び、臣下の国にも「中国」と呼ばせました。

だからシナの忠実な臣下である朝鮮などは、シナを「中国」と呼びました。

つまり 他国を「中国」と呼ぶ国は、その国の臣下の国に他ならない という事です。

今日の私達は当たり前のようにシナを「中国」と呼んでいますが、 それは「中国」が「中華人民共和国」の略称だと思っているからです。

しかしそう呼ぶことは、聖徳太子が確立なさった「二つの中国」という日本の基本的立場を危うくするものです。

日本こそが中国なのに、なぜ他国を「中国」などと呼ぶのでしょうか。 これがシナを「中国」と呼んではいけない理由 です。

さて19世紀末、日本は日清戦争(1894-1895)で清国を破り、 清の属国であった朝鮮を独立させました。

中国王朝を名乗る清が、 もう一つの中国・日本に屈伏し、属国を独立させられたことは、 古い中華秩序が打ち砕かれた象徴的な出来事と言えるでしょう。

当時シナ人は清の中で満州人の支配下にありましたが、 日本への留学生らを中心として民族独立運動が起こり、 辛亥革命(1911)によって独立を勝ち取りました。

ところが彼らは中華民国を建国(1912)すると、「五族共和」という事を言い始め、 清の支配領域すべてを引き継ぐと宣言しました。

シナとは「漢族」と書かれた領域 のことです。

清の領土を引き継ぐという事は、シナ人の領土だけではなく、 満州、モンゴル、ウイグル、チベットの各民族の領土すべてを自分の支配領域にするということです。

辛亥革命は元々シナ人の民族独立運動だったはずなのに、 いつのまにかシナ人による他民族の支配という別の目的に切り替わっていたのでした。

つまり、他民族の領土にまで「中国」という名前の覆いをかけて、すべて自分の国ということにしたわけです。

もちろん他民族の同意を得た訳ではありません。

この頃からシナ人は日本に対して「支那と呼ぶな」と言って来るようになります。

ですから、シナを「中国」と呼ぶことは侵略の手助けをしているとも言えるわけですね。

歴史を知らないと、やっぱり駄目ですね。




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