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zoom RSS 信長が石山本願寺攻めに拘った理由

<<   作成日時 : 2015/10/25 20:43   >>

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こんばんは。

やはり、日本史は面白い。

時代とともに武将の評価が変わってきているところも、面白いのだ。

信長は1570年〜80年の11年間、各地の一向宗と血みどろの戦いを繰り広げた。

この一向宗の本山が大坂の石山にあったので石山本願寺戦争と呼ばれた。

この戦いには2つの謎がある。

信長はあれほど石山本願寺にこだわったのか?

戦いが長期に泥沼化したか?

この二つが大きな謎とされている。

石山本願寺は独自の領土を所有してはいなかった。

領土を持たない宗派を根絶やしにしても領土はいっさい増えない。

これは一向宗討伐を命ぜられた武将にとってはたまらない。

戦国の世で一番大切だった領土という戦利品がなければ、戦いは単なる殺生になってしまう。

信長はあやふやな因習、伝統、宗教などを嫌い、当時としては珍しいほど合理的な思考をする人間であったと言われている。

絶対君主の信長といえども、不毛な殺生を武将たちに続行させられるわけがない。

武将たちも信長についていくわけがない。そこには何か重大な理由が存在していたはずと考えるのが妥当ではないだろうか。

「進むは極楽浄土、退くは無間地獄」を唱える一向宗信徒が捨て身だったとはいえ、信長軍は敗退の連続であった。

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石山とは現在の大阪市中央区の上町台地を指す。

縄文時代この上町台地は大阪湾の海に突出した半島であった。

戦国時代の海面はすでに下がっていたが、満潮には海流が淀川・大和川の奥まで逆流し、雨が降れば一面水浸しの湿地帯であった。

浪速(なにわ・なみはや)、難波は名前のとおり海の波にさらされていて、大坂の河内もまさに「河の内」であった。

当時の大坂、摂津地方で唯一この石山の上町台地だけが乾いた高台であった。

この上町台地は淀川の河口に位置していて、京都の朝廷を牽制できた。

さらにここは貿易港・堺への通過点であり、西国大名を討伐する最前線基地でもあった。

「石山」つまり上町台地は戦国の世を平定するため絶対的に重要な地であったのだ。

信長の武将たちもこの上町台地の重要性を十分知っていたからこそ、11年間も辛い戦いを継続できたと言われている。

戦国の天下を制するのが上町台地であり、このことを痛いほど知っていた西国大名がいた。

安芸の毛利輝元であった。

毛利は村上水軍と手を結び一向宗の側に立った。

村上水軍を味方につけた毛利水軍は大坂湾の制海権を握り、上町台地の石山本願寺へ物資を補給し続けたために、石山本願寺攻めは11年にも及んだわけだ。

石山戦争勃発から6年目の1576年、信長は毛利水軍に戦いを挑んだが、毛利水軍の戦艦はひるまず織田水軍に接近し、焙烙(ほうろく)と呼ばれる火薬を詰めた焼夷弾や火矢で信長水軍を次々と焼き払った。

無敵艦隊の毛利水軍を破るにはどうするか、信長は考え抜く。

そして、誰も考えたことのない戦術を編み出していった。

それは鉄製巨艦の製造であった。

長さ12間(約22m)幅7間(約13m)の巨船を鉄板で覆ってしまったのだ。

前の敗戦から2年後の1578年、鉄で囲まれた艦隊7隻が伊勢を出港した。

信長水軍は再び大坂湾で毛利水軍と激突した。

この鉄製艦隊は焙烙、火矢攻撃にビクともせず毛利水軍を圧倒し、毛利水軍はちりぢりに瀬戸内海へ逃げ去った。

海上からの補給路を断たれた石山本願寺は、朝廷による和解斡旋を受け入れざるを得なかった。

信長の和解条件は「石山をよこせ」であり、本願寺はこの条件を受けいれこの地を信長へ明け渡した。

大坂、上町台地は信長のものとなり、いよいよ天下布武が目前に迫った4年後、信長は戦国の舞台から去ってしまった。

その後の歴史をあらためて各必要はないと思う。

信長執念の石山の地は秀吉が引きつぎ、信長がこだわった上町台地の地形の重要性を知り尽くしていたのだ。

そして今度は上町台地に建った大坂城は、大坂の陣で落城するまでの約30間、徳川家康を寄せ付けなかったのである。

「石山」つまり上町台地は戦国の世を平定するため絶対的に重要な地だと、見抜く先見の明があった、信長。

もし、あと10年生きていれば日本はどうなっていっただろうかと想像してみるのも楽しいのだ。。



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